貧乏人が孤独死する訳ではない。

子育ても仕事も介護も遊びも適当で大丈夫

事故に合った、父親が病院で意識を取り戻した日

Hatena Feedly

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父親がはねられてから一週間後に意識を取り戻し、呟いた言葉は・・・

 

目次

父親がはねられた日

平成27年10月18日の午前に父親が散歩に出てすぐに、私の小学生の時の同級生に車ではね直ぐに救急車を手配してくれたが、私が病院に付いた時には殆ど意識が無く、うわ言の様に、一週間後に行く小豆島の旅行の事、繰り返し呟いていた。

 

その後、直ぐに意識が無くなり、CTやMRIなどを受けた後に主治医から告げられたのは強く頭を打ったのと内出血した血が、脳を圧迫しているのでそのまま緊急入院となり、集中治療室に入る事となる。

 

その時に、なぜか兄が緊急連絡先を私の携帯番号を記入したので、翌日に看護師から連絡があり主治医が話があるとの事で夕方、仕事を早めに終わらして病院に向かう。

 

主治医から言われたのは、意識が戻らないかもしれない事、戻っても以前の様に生活ができない事、事故に合う前に僅かではあるがレビー小体型認知症を発症しており、(時折、日時が分からなくなる程度) 認知症が一気に進む事や、四肢に影響が残る等の

可能性の説明と、自宅に連れて帰っての介護は大変なので、家族と相談して施設にいれるかの話し合いをした方が良いと説明される。

 

さすがにこの時は参ったというのが本音で、こんな事をどうやって母親に説明するのだろうかと悩みに悩み、実家に帰って母親に話をするのは、21時過ぎだった。

 

午前中に病院に見舞いに行ったらしいが、集中治療室の為に部屋に入ることも出来ないので行かなくて良いとは伝えていたが、長年連れ添った夫婦、そういう訳にも行かないのだろう。

 

この日、涙ぐみながら「お父さん、意識戻るよね。家に連れて帰れるよね」と言う母に本当の事は言えず、ただ内出血した血が脳内を圧迫しているので、落ち着いたら戻るだろうと主治医に言われたとだけ伝えて、その日は実家に泊った。

父親が一週間ぶり、意識を取り戻した日

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毎日仕事終わりに病院に行き、私だけ数分ですが病室に入る事が出来、寝てる様な

穏やかな顔の父親を見てから、直ぐに家に帰りご飯を作って20時前に、今度は息子や娘を連れてお見舞いに行く日が続いた。事故に合ってから丁度一週間たった日の夜に、娘と見舞いに行くと看護師さんから今、意識が戻り連絡するところでしたと言われ、病室

 

に行くと、虚ろな目で天井を見上げる父親がおり、私の問いかけに答える事は無く、ただ微かな声で、天井の石膏ボードの無数の穴をひたすら、目で追いながら、天井に沢山の虫がいる。虫が気持ち悪いと呟いた。

 

この時初めて、娘に涙を見せた。これまで人生で沢山、泣く機会があったが、これほど

体のそこから、何かが込み上げてきて全身のすべての悲しみが、体を彷徨って目から溢れ出たのは無かった。とにかく悲しみも涙の質も違った。

 

それから1か月半、過酷な入院生活が始まった。常に壁のシミを虫と怯え、父親が子供の頃に住んでいた鹿児島に帰ると言い。荷物をまとめろと大声をだし、暴れる。

 

父親があまりにも大声を出すので、面会時間が過ぎた20時過ぎでも、看護師に残ってもらえるなら側にいてあげてくださいと言われ、睡眠薬が効いて眠るまで、ベットのそばで見守り、寝たのを確認して自宅に帰ってもまた、深夜の2時ぐらいに看護師から、

「お父様があばれたいます」と電話があり、毎日の様に駆けつけた。

 

この時は、今後どうすれば良いかと頭の中がいっぱいで余裕もなく、それに加えて睡眠不足が加わり、軽い鬱になりかけてたのだと思う。

 

 

 

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