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貧乏人が孤独死する訳ではない。

子育ても仕事も介護も遊びも適当で大丈夫

keiseiのプロフィール

Hatena Feedly

 

keiseiのプロフィールはこんな感じ

管理人 KEISEIは簡単な紹介

既婚者 男性 40歳

    妻  42歳

    長男 17歳

    長女 15歳

趣味 狩猟 釣り ソロキャンプ 巻き割り 山菜採り 読書 料理 燻製

嫌いな物 デザインを起こす作業・・・基本的に仕事でPCを触りたくない

 

 

目次

誕生から中学生まで

消防士の厳格な父親と温厚な母親と3上の兄の元、すくすくと育つが、小学生の低学年から英語と五教科の塾に行き、水泳と詩吟を習いながら、ゲームも外で遊ぶことも殆どする事なく育つ。本当に普通のその辺にいる勉学に励む小学生でした。

中学時代 こんな中学生でした。

子供の頃から塾と家庭学習のおかげで、勉強は出来たが学校の勉強を馬鹿にしており、先生に生意気な態度をとる問題児で、勉強ができるクラスメイトより、不良グループと学校では遊んでいた様な問題児で、まじめに働く消防士の父親を嫌い、絶対に公務員に 将来はならないと心に強く思った中学生でした。

 

中学3年生の10月ぐらいに父親に癌が見つかり、かなり進行しており母親は病院に寝泊まりして、兄と二人だけの生活が多くなりました。

 

元レスキュー隊でもあり、筋肉がすごかった父親の弱っていく姿を見ると、どうしても高校に行く気になれずに、働いて家計を助けようと思い両親の知り合いのつてで住み込みで調理師になる事を決意して、中学校を卒業後に16歳で親元を離れる。

過酷な調理師時代

時代が時代なのか、それとも料理人の世界に労働法などないのかわかりませんが

6時半に仕事場に行き、部屋に戻るのは深夜の0時を過ぎるのが当たり前で、2、3年は

泣いた記憶ばかりでした。(あまりに辛く今でいうブラック企業だと思いますが、料理人なる言う事は、そう言う事だと思いますが・・・あまりに辛いので割愛します)

 

その後、食材に興味を持つようになり、休みの日には漁師に船に乗せて貰ったり、野菜の生産者の処に行き畑を耕したり、養豚の現場に行き勉強していましたが、地元で新規で養豚場が出来る事を知り、料理人をやめ養豚場に就職。

命の大切さと価値観が変わった養豚場次第

これはどの一次産業も同じことだと思うが、汚い・臭い・キツイが当たり前で、それこそ私がいた養豚場は殆ど機械化されておらず、母豚・種豚・そして食用豚に小屋が分かれており柵の中にはおが屑を巻き、それこそ毎日毎日、糞尿との戦いで作業着に糞が付く事など当たり前だった。 しかしそれ以上に私にとっては面白かった。

 

養豚は品種改良をかさねた結果、育てやすく安く消費できる様になり、世の中の皆さんの栄養となり生活を支えている。しかし品種改良を重ねた結果、足が短くなり豚だけでの交尾はし難く、母豚の生殖器を目と指で確かめ発情を確認して種豚と合わせ作業員が3人がかりで交尾をさせる。

 

 

種豚のペニスはドリル状になっており、人の手で豚のペニスを握りながらメス豚の生殖器に誘導するが、交尾が終わったときには手が豚の精子でドロドロになり、手に付いた匂いが洗っても中々落ちなかったり、母豚の出産時には徹夜で豚舎に泊まり込み、子豚をこの手に取ったきは、本当に命の大切さをかみしめた。

 

豚を出荷するまでは、ただ豚肉を口にするだけでは分らない事が沢山ある、例えば生まれた少し経つと牙を切り、オスは金玉を取る。(匂いが肉に付くため)など、普通に暮らしていると経験できない事が沢山あった。

 

何だかんだで4年ぐらい働いていたが、その頃に同級生がネットオークションの会社を立ち上げ、どうしても手伝って欲しいとの事で、何回か断ったが熱意に負けて養豚場をやめる。

お金が全てのネット時代

 ヤフオクのストアが出来始めた全盛期ぐらいで、出品すれば売れ会社がどんどん大きくなり、僅か2年ぐらいで何億も売り上げる様になり、私自身もメール・電話対応兼・出品者から、商品を探す立場になり、下に何人も部下が付き、給料もサラリーマンの何倍もあったが気づくと

 

お金が全てになり欲しい物はすぐにネットで買い、湯水の如くお金を使う事に疑問を持ち始めた頃、妻が(養豚場に就職する前に結婚しております。ちなみ子供は長男・長女がいます)結婚で退職した歯科に戻りたいとの事で、できれば主夫をして家庭と子供達を見て欲しいとの願いから、5年務めたネット会社を退社。この時、私は30歳で子供たちは小学生低学年。

在宅ワーク兼、初めての主夫業

前職中に、プログラミング・フォトショップイラストレーター等はマスターしており、在職中に知り合いのHPやロゴ・飲食店のメニュー表等を個人で請け負っておりました。その流れで、HP更新やロゴ制作や、PCのメンテナンス等で、平均したサラリーマンの月給ぐらいは稼げておりましたので、奥さんの給料と私の売り上げで生活も普通に出来ました。 

 

一言で主夫を言うならば、外で働いていた方が楽と言う事。

 

平日の午前中は、妻の弁当を作り子供と妻の朝ご飯を準備して、洗濯物回し各部屋を掃除して、あっという間に昼になり、一人昨夜の残り物の食べて、夕方まで自分の仕事をして晩御飯作る。子供たちは、私の子供時代とちがい習い物は本人の意思に任せることにしたので、二人とも塾に行くことなく育ちました。 

 

ただ夜は、勉強を教えるのではなく、一緒にする、そして定期的に子供たちをテストで勝負するというやり方をしておりました。それが良かったかどうかはわかりませんが、長男は無事、自分で選んだ進学校に行き、今年受験生の娘も成績が良く、娘自身が選んだ進学校を受験するみたいです。

 

少し話が戻りますが、娘が小6になった時、妻に子供たちを大きくなったので、そろそろ外で働きたい事を伝え、家族で話し合った結果、私も働きに出る事にしました。

 

スキルに群がる人と、再就職

主夫をしながら、できる範囲でPCのスキルを使って仕事を受けておりましたが、主夫で片手間でやっていると思われているのか、知り合いの知り合いを紹介されて、お金がないからロゴデザインを¥0か格安でしてほしいとか、PCがウィルスに感染したから直して欲しいとか

 

初めはこれぐらいなら、タダで良いかと思ってたことが、だんだんと相手の要求が増えてきて、掛かってきた電話に気づかないと、SNSを使って連絡が頻繁に来る様になり、この時にツイッター等のSNSをやめる結果となりました。

 

この頃に、求人情報にリサイクル会社の求人があり正社員として働き始めました。

 

リサイクル会社から遺品整理・特殊清掃

 リサイクル会社に就職した時は、HPの中の一部に遺品整理・特殊清掃をしますのバナーがあるぐらいで、専門会社では無く、それほど件数も多くありませんでしたが、遺品・特殊清掃の専門のHPを立ち上げたいので作れないかと相談され、制作を始める。

 

HP時を制作してから約4ヵ月で検索順位の1位を取り、安定してHPから仕事が来るようになり、1年頃にはリサイクル会社のHPの売り上げより、私が立ち上げたHPの売り上げの方が良かったと思います。ただ少ない人数で会社を回していましたので、現場に出た日は夜、家に帰ったからアクセス数を調べたり、現場の写真を取り込み加工して、ブログやHPの更新をしたりと、忙しくもありましたが、平均して19時前には帰宅出来ましたのでご飯は妻の代わりに作っていました。

孤独死の現場・現実

月に平均すれば遺品整理は6件で、孤独死の現場は4件は特殊清掃しました。

ゴミが天井まで積み上げられた部屋の中で亡くなった方や、ヒートショックで無くなったかた、生活保護を受けてる方や、立派な一軒家でお金も沢山ある方など、本当に色々な人生を歩んで来られた方の最後の片づけを、故人様やご遺族様の代わりさせていただきました。遺品整理・孤独死については今後、ブログにて定期的に掲載させていただきます。

父親の事故。離職、そして介護

平成27年、昨年の10月に散歩に出かけた父親は家を出てすぐに。私の同級生が運転する車に跳ねられ、意識不明の重体になりました。

この頃は、レビー小体型認知症が発症したぐらいで時折、日にちを忘れるぐらいで、ほぼ健常者と変わりなく、日常生活も穏やかで平穏でした。

 

意識が戻ったのは救急車で搬送され入院してから一週間後でした。

 

運ばれた時に、なぜか兄が緊急連絡先を私の携帯にした事が、この後私を苦しめます。

翌日、主治医に呼ばれ父親が意識を戻すか戻さないかは運次第であり、仮に意識が戻ったとしても、以前の様には生活出来ないだろうと言われる。もし意識が戻った時は、その後はご自宅で介護する事は、大変難しいのではと家族で話をした方がいいとも言われ

涙が止まらなかったのを今でもはっきりと覚えております。

 

その後、意識が戻った父親を別人になり、日常生活が出来なくなり、私の介護生活が始まります。

約2か月の入院生活を終え、母親の強い希望で父親を家で見たいとの希望を叶える事にし、実家に連れて帰ります。

 

デイサービスを受ける事になり、要介護4を認定された父親は週四で日中は午前9時から16時半迄デイサービスに行き、夕方は母親がご飯を食べさせ、私が風呂に入れて

介護ベットの横で母親と交代で寝る生活を、今年の7月まで続けました。

 

この時、私は自分の家に一旦帰り、家族のご飯や洗濯をしてから、車で約15分位掛けて実家に戻る生活を続けておりました。

 

そして7月に過労からか、免疫力が下がり細菌が体に入り、肺炎・胆嚢炎に掛かり一ヵ月入院する事となり、介護か仕事かを選ぶ事となり父親の介護をする事を選びました。

そして約4年働いた会社を退職しました。

ブログ 「貧乏人が孤独死する訳ではない。」を始めるきっかけ

多くの孤独死の現場に入り、「孤独死」が社会問題になっている事や、孤独死した故人に対する偏見、また身寄りのない認知症孤独死や、介護問題を、自分自身が父親を介護する事で、感じた偏見や理不尽な国の取り組みや癒着などを多く感じる機会がありました。

 

また実家の近所のご年配の方や、父親のケアマネージャー・地域包括センターからの認知症患者のゴミ屋敷の相談や、介護用品の相談などを聞いて行く内に、自分が得た知識が誰からの役に立つならと考えブログを立ち上げました。

 

基本的には、介護問題・孤独死問題・遺品整理の問題や、子育てなどをブログにアップして行きたいと思っておりますので、宜しくお願いします。

 

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